設立趣意書
設立趣意書
わが国の科学技術水準は、戦後長足の進歩をとげ、表面的には欧米先進国なみになったように見られているが、その内状は、日本独自の科学的発明や発見に基礎をおくのでなく、欧米諸国からの技術導入によってその水準を高めてきたのが現状で、真の意味で高い水準に達したとは云いがたいものである。
これは、根本的には明治以来我が国が、そのおかれていた国際環境から特に自然科学の分野では、欧米諸国の既成知識を急速に吸収する受動的立場に終始せざるを得なかったため、この方面での底の浅さが国民的体質として定着してきたことに起因していると考えられる。
一方、最近に至って急速に顕在化してきたエネルギー資源問題や、環境汚染問題を中心とする、人類の生存にかかわる基本的問題は、すべての先進国をふくむ全地球的な問題として提起されてきている。そのような情況にあっては我が国としても今迄のように他国の開発に依存し、これを応用発展させるという図式ではもはや通用しない局面に遭遇することは当然予想されるところである。この意味において、現在こそ我が国は科学技術の分野で従来の消極的体質から脱皮して特に基礎的な学問分野で他国に先んじて独創的な研究を進んで行い、それらの成果にもとづいて創造性のある独自の技術を開発推進するという積極的体質に転換すべき時にきていると思われる。
現在、この必要性を叫ぶ人達は少くないであろう。しかし問題はこの決して容易でない"転換"を如何にして実行するかという処にあるのであり、必ずしも多くの識者が、"転換を実行する"に当たって根源に横たわる以下に記すような基本的問題点を充分に認識しているとは限らないように思われるのである。
- 独創的な基礎研究を促進するには、先ず前人未踏の分野を開拓するという精神を持たねばならないであろう。その為には一つの殻にだけ閉じ籠ることなく、積極的に他の分野、あるいは他の学問と接触して触発されることも必要であろう。それはやがて新しい学際的な分野を切り開くことにつながるからである。このことは従来の日本人の科学の捉え方の姿勢を改めるという問題にまで発展するのではないかと思われる。即ち日本古来の価値観はともすればステイタス・クオ(現状)を維持することを重視し、例えば物理学、化学、生物学など一つの学問の分野で博士号でも取得すれば、もうその学問の奥義を極めた(免許皆伝)と考えられ易く、このことは物理学なり化学なりがすでに完成されたものであるという仮定に立っているからであろう。しかし事実は、科学上のどれ程偉大な発明、発見であっても、それが偉大であればあるだけ、完成という終焉を告げるものではなく、むしろ新しい分野の黎明を告げるものなのである。そしてそれは科学の進歩という大きな流れの中の一つのマイル・ストーンであり、後世の業績の布石になるのである。このような科学そのものに内在する発展性を日本人は充分に把握していないのではないかと考えられる。従って今までの日本の研究は基礎の分野でもステイタス・クオを重んずるが故に、未知の分野を積極的にパイオニアすること、即ち真の意味の研究行動に出ることに対して甚だ臆病な態度をしめし、とかく他国ですでに手をつけられた研究の後塵を拝するという域をでないことが多かった。
- 次の問題点は、たとえ日本で独創的な研究が行われ重要な成果があがっても、それは線香花火のように消えてしまい、それを正当に評価して育てる土壌が乏しいということであろう。それが独創的であればあるだけ更に学問的に発展する可能性また一方応用の面で開発される可能性をも備えているに違いないのである。このことは、例えば日本で半導体のトンネル・ダイオードが生まれた時に、日本の学会がダイナミックに反応してそれを超電導物質のトンネル・ダイオードに発展させることも出来なかったし、また一方、それを電子工学の立場から評価して応用面を開拓するという端緒をも日本では開かれなかったことによっても裏書されるのではないであろうか。つまりこれを要約すれば日本の科学技術が一つの生命を持ち有機的に成長するという機能をいまだ充分に備えていないことを意味するのかもしれない。
- この他に日本人は科学技術の推進にあたってとかく柔軟性に欠けるという短所を挙げることが出来るであろう。この点も日本人の二君に仕えず、二夫にまみえず、というとかくモノリシック(一本調子)になり勝ちな日本人の価値観が災いしているのではないであろうか。科学技術を発展させる上で重要なことは、何も絶対的なものがあるのではなくオルターネティブ(代わりになる)の途の可能性もあるのだという認識である。物理学上の歴史でも今世紀のはじめ古典力学が行きづまった時、オルターネティブの途を求める努力がやがて量子力学や相対性理論を生んだのではないであろうか。また戦後の最大の発明の一つであるトランジスタも真空管に対するオルターネティブとしての基礎研究から発展してきたのである。
扨、以上のような問題点を考えてみる時、日本には有能な研究者が少なくないとはいえ、日本の科学技術の将来には必ずしも楽観を許さないものがあるように思われるのである。しかし一方エネルギーを含めて天然資源に乏しいわが国の将来の発展が、科学技術の振興に負わねばならぬことも明らかである。
従って、今われわれはここで何としても長期的視野に立ち、在来の問題点を逐次是正して日本の科学技術の基礎を固めて将来に備えねばならぬと固く信ずるのである。
この為には従来とかく軽視され勝ちであった各基礎研究の分野を整備充実すると共に、更に基礎研究分野相互のインターフェイスの協力開拓に努め、独創的な研究を促進させねばならない。また基礎研究の成果が活用されるためには、基礎と応用との間の効果的なインターフェイスもわれわれの手によって創り出し、成果を積極的に開発する途を開かねばならない。
にも拘らず、基礎学問分野、特に自然科学の研究に携わるものにとって、このような方向を推進する上での最大の悩みは、これに要する設備、研究費の不足である。殊に最近の自然科学系学問は巨大化、組織化され、これに伴い、長期的展望に立った豊富な経済的支援の必要性が強く要望されている。
これらの現状を認識するならば、国家、個人を問わず、自然科学に関する諸種の基礎研究に重大なる関心を示し、すすんでその資金を提供することは我が国の今後の科学技術の発展、ひいては人類の繁栄をもたらす一助たることは明らかである。
扨、今般ロート製薬株式会社の社長たる山田輝郎から、自然科学の助成に役立てるため、その所有する資産を提供したい旨申し出があった。
同人は早稲田大学卒業後父のあとを継いで薬業界に身をおくこと50有余年、ロート製薬株式会社を経営し、医薬品製造を通じて国民の健康増進に大きな貢献をしてきたが、かねがね独創性に乏しい我が国の科学技術水準の現状に危惧の念を抱いており、上記の趣意にもとづいて、このたび私財を広く基礎的な自然科学振興助成のために提供したいとの申し出がなされたものである。
よってここに財団法人山田科学振興財団を設立し我が国の自然科学分野における独創的研究を援助奨励し、もって学術の振興と人類の福祉に寄与せんとするものである。
設立発起人
赤堀 四郎
江崎 玲於奈
永宮 健夫
仁田 勇
小川 俊太郎
山田 輝郎
吉識 雅夫
(設立 1977年2月25日)