No.4 随想 創造的な基礎研究の発現を願って

昭和56年(1981年)4月15日
仁田 勇
顧問・大阪大学名誉教授/関西学院理事

 わが国の自然科学や技術を新興する目的ですでにいくつかの有力な財団が設立され、それぞれその目的の達成に努力されている。財団がこのような目的達成のために選択する方途にはいろいろの種類があろう。とくに研究の振興を通じてという途だけ考えてもいろいろあろうが、よい問題を捉えている有望な研究者に、研究上の諸費用を援助しようという種類が、主としてひろく行なわれている。山田科学振興財団も、これらの財団の一つであるが、とくに自然科学の基礎的分野における重要かつ独創的研究に対して援助したいとしている。そこで独創的研究がどのようにして発現するかにつき、大へんあらくまた多分に独断的であろうが、以下に、愚見を述べてみたい。

 人々には、それぞれの過去において、あるいは他人と共通し、あるいは共通しない事柄の経験の記憶の無数が、意識下の状態で脳神経系内に貯えられている。この貯えの中のある記憶が、何等かの刺激によって意識の上に浮んで来る。ここで脳神経系内のいろいろの異なる記憶の間には、あるいは強く、あるいは弱く、互にある相互作用が存在するように考えられる。たとえばある種の香を嗅ぐと、かつて思い出しても見なかったような遠い過去のある生活体験が生き生きと意識の上に上って来るようなことがある。これは異なる記憶の間の相互作用の一面を物語るものであろう。世間で行なわれる記憶術が、ある事柄を強く記憶して後に容易にその記憶を意識の上に呼びもどすのに、他のこれと多少関連のある事柄を同時に記憶するとよいとするのも、この辺の機微を物語るものであろう。記憶間の相互作用は、しばしば思いがけぬ事柄の記憶の間にも存在する。科学的な事柄の記憶も例外ではなく、いろいろな連想や類推や着想の現象も、このような相互作用によるものであろう。科学的な創造とか独創とかいうこともこれに関係するところが多いと思われる。従ってすぐれた創造的、独創的な着想には、過去における科学上のすぐれた、良質の体験や知識の記憶の貯えが欠くべからざるものとなる。科学の教育や研究者の訓練に、演習、実験、実習、討論などが重んぜられるのも、この点にかかわることとなるのは多言を要しないところである。

 山田科学振興財団が行なう研究ないし研究者への重要な援助事業には、多くの他の科学振興財団が行なっているような、すぐれた新進研究者による重要かつ多望な研究を援助したりする仕事に加えて、高い研究業績をもつ世界的な研究者や高い研究活動を行なっている新進研究者を国外から招へい、逆にわが国のすぐれた研究者たちを国外の学会や大学・研究所などに派遣して、科学諸分野の研究大勢や最新成果などの情報交換など、国際交流を深めることを援助したり、あるいはわが国の科学発展にとり現在また将来に重要と考えられる国際的な学術交流集会の開催を援助したりすることが、とくに特色ある仕事と考えられている。これらは、上来述べて来た見解からすれば、研究者の方々になるべく多くすぐれた科学的雰囲気に浸っていただき、それによって独創的な着想発現の機会をふやすということになろう。財団でその事情にかかわるものにとっては、どのような種類、性格のものが科学的雰囲気の優秀なものであるかを探出、選択するのが大切といえるのではないだろうか。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より