No.10 随想 日本型国際交流の模索

昭和56年(1981年)3月26日
佐藤 文隆
評議員・京都大学基礎物理学研究所教授

 近年、学術における国際交流も欧米先進国なみに種々な形態に拡大すべきだとの観点から日本での研究の現場もしだいに国際化されつつある。多分このままの努力を進めれば相当に‶先進国″なみに近づき、研究にも活力が入り、また経済大国としての国際的責務を果すことにもなると期待される。したがって現在各方面で努力されている国際交流の強化に何も疑問を特に感じているわけではないが、このまま国際化が進んでいった場合に心配になってくる、少し先まわりした問題点を一、二述べてみたい。
 昨年中国に3週間ばかり一人で旅した。1ヵ所で長く講義したこともあって比較的若い人達とも友達になれたが、理論物理学の研究者である彼らは全て外国に留学する機会があれば英語国あるいは英語のみで研究活動ができる国への留学を希望していることに気づいた。この傾向は基礎研究の分野で特に顕著なことで、英語が国際語である以上研究とともにそれがマスターできる国にいきたがるのは当然のことである。
 では日本で英語だけで研究できるのかといえば、多分中堅以上の研究者にとっては周囲が努力すれば十分できると思うが、問題なのは研究者になりつつある若い人の場合である。この場合にはある一つの研究テーマに打込んでいるにしてもたえず種々な刺激を研究機関の活動の中からうけている必要がある。しかし日本語を解さなければ研究指導者や共同研究者といった限られた人との接触しかなく、ある研究機関におることのメリットというものを全然生かせないのである。若い研究者の場合には数人の者が相手をするだけでは決して恵まれた研究教育環境とはいえない。それではセミナーや談話会、学会発表から学位公聴会まで全て英語にすればよいということになるが、それはいささか将来的にも非現実的に思える。私自身国費留学生を世話した経験があるが、一人は語学がたん能であったので日本人並みにいったが他の一人は結局長く続かなかった。日本語を習得するメリットは国際的には何もないから、そのための努力は負担以外の何物でもないのである。
 それでは今度は中堅研究者にとっては問題ないかといえば語学は周囲が努力すればカバーできるとしても、問題は将来の雇用であろう。これは欧米といつても主に米国との差であろうが、そこでよい仕事をすれば長期間の雇用の道もひらけるが、日本の場合は常に「招へい」であって日本に居つくことになる可能性は双方とも考えに入れていない。中堅の中でも若い方の研究者にとってもはポストというものは、何もそれ自体が目的でなくとも、色々な意味で努力の刺激材である。それがない「招へい」とは過去の研究業績への報奨ではあり得ても刺激材となり得ない何か気の抜けたものになってしまう。比較は悪いがこれではプロ野球の外人選手なみの国際化にもなっていないといえる。
 問題点は総じて若い研究者層に国際化をどう拡大していくかということを考えると色々とおこってくる。それでは語学やらポストやらで問題の少ないエスタブリッシュした研究者だけを相手にして国際交流をすればよいのかと云えばそれも片手落ちであろう。そうかといって上の二つの問題は社会的原因であるから学術の世界でだけ急に変えられるものでもないであろう。そこに、例えば米国の研究機関を頭に描いた国際化の目標に一つの限界があるように思えるのである。日本の地理、語学、雇用慣習などを考慮した何か独自な交流のあり方を模索すべきだと考えるのである。米国といわず欧州をとれば日本と似た面もあろうが地理的条件が異る。アジアには目標とすべきものはない。ここは自分で色々とやってみる以外に道はないのであろう。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より