No.15 随想 研究費申請の審査について
昭和56年(1981年)4月4日
早石 修
理事・評議員/京都大学医学部教授
山田科学振興財団の満5周年にあたり、過去5年間研究費の審査をさせて頂きました経験を顧みて一言感懐を申しのべさせて頂きます。
日本における自然科学の基礎的研究には外国の模倣が多く、真に独創的な研究が比較的乏しいという批判は、今日わが国が世界的の先進国のトップに立つ事を自認し、学術論文の数では世界に誇り得る状況でも依然としてあとをたたないようであります。しかし多くの研究費の申請に目を通していると、どうしても数年先には一定の成果のあがりそうな、いわゆる健全な見通しにたった申請が択ばれ、万が一うまく成功すれば素晴しいが、多分にギャンブル的要素のある申請は合議制の審査では落第になり易いようです。これは文科省の科研費の審査などでも同様で、一方では〝萌芽的研究″を育成するようにという指示があり乍ら他方一、二年で一応まとまった成果のあがるものという註文がついてくるわけです。一般に安全運転至上主義でコンセンサスによって方針決定をするのが好きな日本の国情では、それ故にこそ現在世界に羨まれる繁栄を築いたのでありましょうが、又それ故にこそ定説を破るような、独創的なアイディアが中々育成されにくいのではないでしょうか。この問題を解決するにはやはり申請書の中味だけでなく、親しく研究者自身に逢って、その人から直接意見をきき、又過去の実績とてらしあわせて判定する事が必要だと思います。
わたくしごとで恐縮ですが、かつてアメリカのNIHに在職中、Jane Coffin Child’s Memorial Fundという財団に研究費を申請した際、突然ある日財団からの係員の訪問をうけ微に入り細にわたった質問をうけて面喰った事がありました。あとで米国の友人にきいたところ、その人はMilton Winternitzという財団の理事長で、かつてYale大学医学部の中興の祖と仰がれた名医学部長であり、アメリカ医学教育界の大御所であったのです。同博士のきわめて鄭重でしかも要点を外さぬ質問には全く恐れ入って恐縮するばかりでしたが、彼のような財団理事長がわざわざ出掛けて来られて、具体的な細かい問題について色々と探索された熱意には頭が下る思いでした。私はその後間もなく京都大学の教授に着任しましたが、以来数年にわたって同財団の研究費をうけたのですが、20年を経た今でもWinternitz博士の厳しいインタビューと慈愛溢れる目差しを忘れる事ができません。他人様の仕事を評価したり、研究費の申請を審査するのは本当に難しい仕事ですが、特に難しいのは若い知名度の少い研究者の、新しい独創的な着眼を育成する事でありましょう。
そのためには総研究費の中の一定部分を思いきって新人の育成に向け、その場合当り外れのある事は充分承知の上で、新しいアイディアや型破りの実験計画を募ってみるのは如何でしょうか。文部省の科研費はやはりその立場上、見通しのたったprojectに向けられるべきでありましょうが、山田財団のような民間の財団が研究費を出すとすれば、科研費を補うだけでなく、少しちがった見地に立って、それこそ〝萌芽的″研究の育成を試みては如何なものでしょうか。
記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より