No.25 過ぎしことごと・明日への架け橋 新しい研究室への研究助成

大澤 利昭
選考委員/東京大学薬学部教授

 大学の教授は初代にかぎるとよく云われる。たしかにその講座前任教授の研究方針に影響されることなく、自分自身の方針で自由に研究を展開できるし、また研究室の先輩たちとの善きにつけ悪しきにつけてのしがらみもない。しかし前任者の遺産がないわけであるから、白紙の状態から独力で研究室を構築して行かなければならない。とくに最近のように、高度な科学機器が氾濫し、また国立大学では講座が新設されても人員の純増がなく、振り替えがほとんどで、しかも新設に伴なう設備費は僅かしかない時代に、高価な機器を揃え、スタッフを獲得して先輩諸講座に伍して行くのは容易なことではない。
 筆者の研究室は昭和46年4月に人員はすべて振り替えで新設された。故浮田忠之進学部長をはじめとして先輩教授たちの御好意でやっとスタッフを揃えて出発したものの、めぼしい機器などは全くなく、廊下を歩いて先輩諸講座の機器室をのぞいたとき、いつになったら我々もあんなに立派な機器が持てるだろうかと溜息ばかりでるし、研究室の大学院生達が毎日頭を下げて他講座の機器を借り歩いているのを見るにつけ、ボスたるもの何とかして少しはましな機器を揃えてやらなければと、某財団の大型研究助成を申し込む決心をした。
 元来筆者は糖化学から出発し、植物種子由来の血球凝集素で、糖結合性たんぱくであるレクチンと、それらの細胞膜レセプターの解析にも従事して来たが、その少し前から一部のレクチンはリンパ球に結合したとき、抗原で感作されたリンパ球と抗原とが反応したときと同じようにリンパ球を幼若化し、細胞分裂を誘起させることがわかっていた。これらのマイトジェニックレクチンによるリンパ球幼若化は細胞活性化のトランスメンブランコントロールの機構解明の上で極めてよいモデルであると考え、研究室発足のときの主要なテーマの一つとしてとり上げることにした。リンパ球活性化はDNA合成、すなわちトリチウムチミジンのとり込みで測定するのが簡便であるが、これには液体シンチレーションカウンター(液シン)が必要である。昭和37~38年ごろ筆者がボストンのMassachusetts General Hospitalで働いていたころ、まだRIの問題がそれほどやかましくなかったこともあって、当地では廊下のつじつじに液シンが置いてあったと記憶しているが、東大では昭和46年ごろでも当時にしては高価だった液シンは数が少なく、この研究に伴なう多数のサンプルの測定のため、大学院生達はあちらこちらに頭を下げて測定させてもらうのに大変な毎日であった。
 またリンパ球培養のためのCO2インキュベーターさえ買えず、実験の失敗が多かった。何とかこれらの機器を買わなくてはと研究助成金申請の決心をしたのである。しかし当時筆者にはこの新しいテーマに関連した細胞化学的な業績は全くないと云ってよかった。近頃他人の研究費申請を評価しなければならなくなって感じるのであるが、いわゆる萌芽研究とか新しく始める研究の評価というものは大変にむずかしい。とくに従来の業績にこだわらず研究計画を評価せよということで、それまでの申請者の研究業績の説明をあまり要求しないことが多いが、たった300~400字の研究計画だけで、その計画と申請者の研究遂行能力を評価し、研究の将来の進展を予測することは不可能だと思うことが多い。ともあれ筆者の場合はこれまで生体膜の領域で業績をあげてこられた野島庄七先生と、とくに感染免疫のエキスパートである中野康平先生に共同研究者になっていただいたところ、幸いに研究助成金を得ることができた。この研究助成金で購入した液シンが搬入されたときの喜びは忘れることができない。私共の新しい講座にわりあてられた地下の汚ない実験室で大学院生達と祝杯をあげた。彼等ももう方々に頭を下げて液シンを借り歩かなくてもよいというので、研究室の士気は大いに上ったものである。
 近年文部省科研費が、助手クラスの人のための奨励研究は拡充されつつあるものの、個人研究を対象とした一般研究より、その研究領域での既成研究者がチームを組んで行ういわゆる重点研究にウェイトがおかれているとき、研究助成財団としては、かなり完成された研究や、めぼしい新発見に与えられる賞は別として、助成金の相当部分を新しい研究室での新しい研究や、新しい領域へと方向転換した研究者の研究の育成に向けるべきであろう。その際、やはりその研究者の研究遂行能力を見るという点からも、その研究計画とは全く関係がなくても申請者の従来の研究経過や業績がわかるような配慮がないと、研究費がどうしても学閥や人脈に左右された配分になりがちになると感じることが多い。

記念誌「山田科学振興財団の10年」(昭和62年(1987年)2月1日発刊)より