No.11 随想 国際学術交流と民間財団

昭和56年(1981年)2月27日
久保 亮五
評議員・慶応義塾大学理工学部教授

 日本は世界第2?の経済大国だという。戦前、戦中派にとっては夢のような話である。相変わらず研究費の不足に悩む研究者にしてもどこか他所の国の話としか聞えない。確かに研究への国家投資も相当なものになってきた。さらに昨年暮頃からは、政府、自民党の一部に科学技術振興の声が高まってきた。何で今頃になってと言いたくもなるが、遅蒔でも言わないよりは大変いい。しかし心配なこともある。声高に言われていることはどうも短見、かつ性急である。創造技術というのはよいが、金を注ぎこみ、尻をひっぱたけばチョロチョロ出てくるような考えでは大変困る。それでは肝心の根が枯れてしまう。巨大科学、巨大技術は大事であるが、それだけに眼を奪われては独創の芽も生えるわけはない。これについて言いたいことは山とあるが、ここはその場ではない。にも拘らず一言したのは、与えられた主題に対する私の答の背景としての前置きである。
 戦後40年、日本の研究者の歩んだ道はけわしかった。そのあいだ、日本の民間財団の援助は研究者の大きな力となった。私自身何度か有難い励ましを頂いたし、またいくつかの財団の仕事に関与してきた。そのような経験から日頃思うことの二、三をここに記して大方の御批判を仰ぎたい。
 大学等における基礎研究について今日では国立大学の経常予算、特別な諸事情、設備費、科学研究費補助金、私学への援助、日本学術振興会の諸事業など、はなはだ多岐で素人にはなかなか実態がつかめないが、ともかく相当な額の国費が投入されている。科研費ひとつを見ても、この10年間に4.2倍になり、本年では358億円に達している。
 一方、科学研究振興を目的とする民間財団は、60年代に増加したが近頃はあまり新設はないようである。また、それらの財団による諸種の援助が総額どのくらいか私は知らないが、国家投資に比べるとその相対的比重は逐年低下しているものと思われる。民間財団の多くは進行するインフレに悩まされているのである。それでもなお、民間財団の活動は基礎科学研究の大きな支えである。しかし、その意味は必らずしも一昔前と同じではない。絶対額において国家予算とは比較にならない民間財団資金が高い価値をもつのは、後者が前者とは異なる性格をもつからである。
 国家としての研究投資はその額が圧倒的に大きいことによって研究の発展を基本的に左右しているが、それには根本的な問題が三つある。その第一は絶対額の不足、第二は分配の偏り、第三は国費であるための制約である。社会主義国ではたぶん民間財団が存在する余地はなく、科学研究もすべて国家計画として行なわれているのであろう。だからというわけかどうか、外から見ると何か工合悪いところもあるように見える。ひとの国のことを気に病む必要はないが、たしかに今の日本では国家投資だけではうまくゆかない面がいろいろある。
 研究投資の著増にも拘らず、現場の研究者の飢餓はあまり癒されてはいないのが現実である。科研費の重点配分が強調され、プロジェクト研究に集中する傾向が強まる一方、民間財団の研究費援助に申込みが殺到する。1件数百万円から2千万円程度のものを公募すると(三菱財団の例)数十倍の競争率になる。百万円以下(RCAの例)でも十倍以上である。科研費の場合には3乃至4倍程度である。この事実の意味は分析に値するが、それは別な機会にゆずろう。明らかなことは民間財団が提供する研究費は絶対額不足を多少補なうとしても、一昔前とはちがって重点はむしろ性格の違いにあるであろう。科研費よりも良い選択がなされ、すぐれた研究が伸びる契機をつくることが多い。そのような研究を見ることは財団関係者にとってこの上ない喜びである。半面、折角献上したお金が、掻き集め研究費のどこかに雲散霧消するのを見るときはがっかりする。学会から推薦されるものに間々そういうのがある。民間からの援助は、国費への穴埋めでなく、本当に良いものの芽を育てること、国費ではやれない役目を果させることに活用したいものである。
 本題から外れたことを言ったのは、学術交流について問題は同じようなこともあり、ちがうこともある。その対照を意識した方がいいと思ったからである。
 海外との協力研究は最近大分様変りである。学振の日米協力事業が伸びなやんでいる反面、エネルギーだとか何だとか、大型の日米協力が始まり、その他にもいくつか新しいものが国の事業として行なわれるようになった。民間財団は到底そんなことはできないし、やる必要もない。しかし、国の計画はしばしば整合性を欠き、切羽つまった研究者から応援を求められることがある。たとえば、旅費等がバッサリ削られて、協力研究をしようにも研究者を派遣するに事欠く、といったことがある。全く奇怪な話である。急場を救い、大の虫を生かすのはいいとしても、そういうことは続けられない。政府当局者にも、研究組織者にも反省を求めたいところである。
 研究協力事業は別として、研究者の海外渡航や日本における国際研究集会開催などについて、昨年、日本学術会議の国際学術交流委員会が大学や学協会にアンケート調査を行った結果の報告が手許にある。調査しないでもわかっていることであるが、このセクターの活動は私的な資金に負う部分が大きい。調査結果では、短期渡航を含めて全くの私費が約36%、国費または大学からの資金が22%、外国からの資金が12%、その他が15%、等となっている。調査に基づく提言としては、公的費用負担分を増すことが要望されている。
 もともと、学会活動というものが研究活動の重要な部分であることは認められていて、国も種々の援助をしているが、さればとてその全部を公費で丸抱えにするわけにはゆかない。財政的に困難だ、というばかりでなく、研究の自由な活動を阻害するおそれもある。これは私学の問題と幾分似たところがある。政府の援助と介入をどの辺の線におくのが本当によいか、難かしいところがある。
 長期の在外研究には文部省の在外研究員の制度がある。これは国立大学にしか適用されないが、私学には私学それぞれの、また間接に国の援助を受けた制度がある。そのほか、外国のフェローシップ、または外国の機関に雇用された形で行く人々がある。一人前の研究者で、全く私費によって長期の在外研究をやる人は自然科学系ではまず皆無といってよいであろう。とすれば長期在外研究について私費といえば要するに外国の資金によるか、または国内の民間資金によるものである。後者は結局、財団等の援助とういうことになる。
 現在、国内の財団でこの種の援助を行っているものは少いと思われる。困難は経費がかさむことである。仁科財団の例をとれば、現在では1人1年間300万円、有職者ならば250万円としている。これは文部省在外研究員よりも大分割が悪い。しかし米国のポストドクトラルに比べると、少くも有識者の場合、その給料の半分を持出すとすれば必ずしも悪くはない。30才前後の研究者には文部省は狭き門であること、外国の資金が枯渇しつつあること、もはや日本が外国をあてにする態度は許されないことなどを考えれば、当面、民間財団として力を注ぐべき方向の一つは、長期在外研究に若い優秀な人材を送ることであろうと私は思っている。それと同時に、海外から若い研究者を受入れることが必要である。しかし、この方については政府もかなり力を入れだしている。質、量とも未だしという所であるが、民間財団がいまこれに取組むことはむつかしい。
 海外での国際会議等への参加に対する援助の希望は非常に強い。山田財団の例を見ても大変な競争率である。文部省の国際研究集会への派遣は55年度には321名、これに対して山田財団やそのほかからの援助はどのくらいであったかは審かにはしない。個人的に寄附を受けることも行なわれているが、それはボスの先生のことで若い人々にはあまり通用しない。若い研究者が国際会議にもっと参加して大いに気を吐いて貰いたいのであるが、彼等にとって援助はやっぱり狭い門である。これは編集者から与えられた問題ではないのでこれ以上触れない。
 最後に日本で行なわれる国際的学術集会である。1953年に理論物理学会が開かれて以来、日本学術会議が学会と共催し国費の援助と産業界からの寄附を得て行なう国際会議の方式というものができた。若干の変遷はあるがそれが引き継がれ、かつその数は年間数件に固定されて久しい。この状況は大変問題で、日本の学問の国際的活動を抑えている。政府当局者の理解を求めたいところである。
 しかし今日、日本で開かれる国際会議は大変な数に上るということである。たぶん、その大部分は医学や工学、技術関係のものであろう。私が知っている基礎科学の分野ではそんなに沢山あるわけではない。
 この種の交流活動に対して国が格段に積極的な援助をすることは非常に望ましいし、必要である。一方、現状から見て、また事の本質からして、これは民間団体が貢献し得る重要な場面である。実際、いくつかの財団が、それぞれに特色ある事業を行なっている。山田コンファレンス、王子セミナー、谷口シンポジウムなどは私がたまたま知っているものである。一つ一つの計画を援助することも必要であろうが、これらの例のように何かある一貫性をもって国際的研究集会を援助し、やがて国際的にもある伝統を創りだすことは、民間財団にふさわしい仕事であると思われる。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より