No.12 随想 大学における科学研究の推進のために ー細胞生物学者の立場よりー
昭和56年(1981年)4月9日
田代 裕
評議員・関西医科大学医学部教授
1972年の夏のことだったと思うが、当時私はロックフェラー大学の客員教授として同大学の細胞生物学教室に滞在していた。そして丁度三度目の訪日を終えて帰国されたPalade教授(1974年ノーベル賞受賞者)から日本の大学についての率直な印象を聞かされたことがある。その時先生は〝日本の会社や銀行などはまことに立派で、中にはアメリカを凌ぐものも決して珍らしくない。しかし日本の大学は一体どうなっているのか。多くの大学の建物は老朽化しており、設備も悪い。日本の政府は科学への投資を忘れているのではないか?それからあっちこっちの大学を訪れたが、例えば解剖学教室には教授が2~3人いるのに相互間の交流は少なく、協同研究もほとんど行われておらないようである。あれでは強力な研究が育つ筈がない。何故お互いに協力しようとしないのか?″と言われたことを憶えている。
あれから10年、我国のGNPはさらに上昇し、自動車、コンピューターなどの基幹産業においてすらアメリカを凌駕しはじめている。それならば科学研究の世界ではどうであろうか。
話を私の専門領域の細胞生物学に限定するとして、10年前と比較すると、研究施設の点では確かに日米間の格差は縮ったと思うが、研究業績で比較すると両国間の差は余り縮ったと思えない。
昨今にわかに我国における基礎科学研究の重要性が云々されるようになり、科学技術を導入型体質から自主開発型体質に改造する必要性が叫ばれている。我国が科学の面でもアメリカに追いつき、追い越すためにはどのような手を打てば良いのであろうか。このような問題を考えている時、Palade先生のコメントを思い出した。大学で基礎医学の研究に携る者として、思いつくままに2~3の対策を書いて見たいと思う。
まず第一に感ずることは研究費、特に消耗品費の絶対的な不足である。科学技術白書その他の資料を見ても我国の科学者、特に大学の研究者の一人当りの研究費は欧米に比べ著しく低額であり、しかも近年ほとんど増えていない。研究費の不足は研究を委縮させ、矮小化させる。我国では小さくまとまった研究が多く、スケールの大きいオリジナルな研究が出にくいのはこのような研究費の不足が最大の原因ではないかと思う。
このための対策としては文部省の科研費の思い切った増額(2~3倍)が切望される。それとともに山田財団のような民間財団がもっと多数設立されればどんなにすばらしいことであろうか。アメリカの財団については江崎先生が第一回山田科学振興財団事業報告書の中で詳しく記載しておられるが、このような面でも日米間の格差が少しでも縮まるようになって欲しいと思う。
第二は研究単位の大型化である。アメリカで現在活発によい論文を生産している研究単位は20~30名の研究スタッフを抱えた大教室が多いと思う。我国では研究単位は講座定員によって規定されている。このため一つの講座でアメリカと対抗して競争することは仲々困難で、複数講座の協同研究がこれからは是非必要となってくるのではあるまいか。
最後に科学研究費配分の実績主義は地方大学に冬眠教室とも呼ぶべき研究活動の低い教室を生み出しかねない。最近文部省から発表された‶我国における学術研究活動の状況″によっても過去5年間に一度も論文を発表していない研究者が全研究者の約1/4に当たる26,820人もあると言う。我国は終身雇用制であり、かつ講座の定員数は一定であるからこの様な研究活動の低い教室の研究活動を高めることも我国の研究レベルの向上のための重要な課題となろう。
記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より