No.18 随想 雑感:日本の研究者の一人として

昭和56年(1981年)2月4日
岡田 善雄
選考委員/大阪大学微生物病研究所教授

 山田科学振興財団が発足して5周年である。多額の浄財を日本の自然科学発展のために毎年支出して頂き、研究者の一人として感謝の他はない。
 自然の科学的研究とういうのは、研究者が自然に問いかけ、自然からの答を解読しながら、自然に教えをこうものである。この分野は他のヒト社会の仕組とは一味違ったユニークな社会である。即ち観察結果を自費で公開して、その知識を人類の共有財産とするのを原則としている。したがって研究が進めば進む程研究者個人の失費が重なってしまう形のもので、このような分野が西欧的な権利とか契約とか云った強烈な社会の中から生まれ、現在なお存続しているのは興味深いものである。研究が職業として成立するようになったのは、ひとえにヒト社会に余裕ができたからである。
 面白いことに、具体的な利益を直接意識せず公開をむねとするこの分野の100年の歴史をふり返ってみると、新しい思想が生まれ生産性の原動力にもなり、雪だるま式に新しい利益を作り続けてきている。どうもこの形式が最も能率よく人類の将来を切り開く道につながるらしいとの判断は許されそうである。
 さて、日本のこの分野の現状はどうであろうか。外国をまわってみて日本の研究室の整備はずい分ゆきとどいてきたと感じる。私の若い頃のみじめさと今昔の感がある。政府の科学行政に加えて、山田科学振興財団をはじめとするいろいろな御支援のたまものである。私は医・生物畑であるが、この分野の事を考えてみると、然しながら、まだ先進国レベルに到っていないものがいくつかある。その一つで、最近気になっている事を述べてみたい。
 日本の医・生物学は明治以来、素質充分な若者が先進国に留学し、見事な研究を展開して帰国し、その学問を日本に定着させることで進んできた。特に戦後の医・生物学の、世界での急激な発展の中に日本人の活躍が常に存在していたことは、日本人の素質の良さを証明していて心強い。然しである。日本からの留学はあっても、欧米の若い研究者が大学院卒業後日本に留学して、2年間程研究室で仕事をして、世界的な研究を展開したのち母国に帰ってその研究を定着させる道筋は現状ではあまり無いように思う。あるのはすでに著名な外国の方々を短期間招待するか、有給休暇を利用して半年か1年日本にきてもらう形である。
 日本学術振興会には若い研究者の長期滞在の枠は確かにあるが、人数が数名と極めて少く、しかも南方の方々が日本で勉強されるのに使われる傾向が強いように見える。日本が南方諸国の教育を担当するのはすばらしいことであるが、そのために枠がつまってしまうのも困る。教えることは意義深いが、一緒にギリギリの思考の下で研究し創造してゆく道も大切である。世界の第一線に伍してゆくために、上に述べた道を大きくしたいのである。実は、昨年私のところへハーバード大学の大学院を修了したばかりの生きのいい青年が留学したいと希望してきたが学術振興会の審査では全く問題にもされなかった。20名余りの申請の殆んどが南方の方々のものであったと記憶している。彼が私の研究室にもし来れたとして、研究がうまくできたか、それ程の思想をこちらが持ち合わせていたかは疑問であろう。然しこの事は論外として、私が言いたいのは、今迄日本の青年が留学する大きな道を先進諸外国が作ってくれた。日本もそれ等先進国から青年が留学できる道をひらきたい。そして我々が、教育ではなくて、彼等と共に自然から学ぶことをやってみたいという事なのである。
 山田科学振興財団の運営は見事に遂行されているが、援助の有効性のチェックをしてもよい時期に来ているように思われる。世界は狭くなったし、日本の研究も進んだ今、先進国の若者が日本に留学できる財政的基盤を貴財団が与えて下されば幸甚である。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より