No.19 随想 序に代えて

永宮 健夫
理事長/大阪大学名誉教授

 山田科学振興財団は10周年を迎えることになった。創立は昭和52年2月25日で、数字が左右対称に並んでいるから記憶しやすい。5周年のときは赤堀四郎先生が「序に代えて」を執筆なさった。赤堀先生は創立以来4年間理事長をなさり、財団事業にレールを敷きなさった。5年目からは私が理事長をつとめることになり、及ぶべくもないが、ここ6年間にわたって任務を果たしてきた。ふと考えてみると、財団の監事、理事、評議員、選考委員、事務職員の中で私が最年長者になっている。創立のときの赤堀先生のお年と同じになる。困ったものだと思う。
 5周年記念刊行物には、出資者である山田輝郎氏(ロート製薬株式会社・代表取締役会長)の「設立に際して」の一文が載せられている。そこには財団の事業について明確な主旨が述べられている。私らはその具体化に努力をつづけてきた積りである。山田輝郎氏は5周年を過ぎて間もない頃に逝去された。しかし氏の精神はわれわれの中に生きていると信ずる。また5周年記念事業の一つとして、財団内部の者が企画したMBE*導入に対して、山田輝郎氏は特別寄附を承諾なされた。逝去ののち、御遺族の方々の御好意により予定通りに寄附を頂くことができた。このMBEは関西学院大学理学部に寄贈され、過去5年間江崎理事を客員教授とし、指導者として、活発に活用されている。
 10年間の定常的事業として研究費援助、短期および長期の派遣と招へい、国際的学術集会の援助、山田コンファレンスの開催がなされてきた。いずれも自然科学の基礎的研究にかかわるものである。これらは、いずれも一応の成果を挙げてきたと思う。財団の事業は政府の力の及ばない所で斬新な研究の芽を育てるということにあったが、この目的はかなり達成されてきたのではないかと思う。近年は、私が理事長であるためか、物理学とその周辺からの援助申込みが多く、採択数も高い。これがよいことであるかどうか、時々首をかしげるのであるが、私個人としては物理学の仲間から讃辞を受けると、悪い気はしない。しかし自然科学の中でなるべく広く公平でありたいと思う。
 近年、貿易摩擦に関連して、世の中では、わが国で独自な独創的な基礎研究を発展させなければならない、という議論がさかんである。結構なことではあるが、それが短期でないにしても何かある期間に利益をあげることを目ざしているかのようであって、私には同調しかねる所がある。自然科学の研究は、無心に自然の妙をさぐることであって、経済的目標を置いてなされることではない、というのが私の持論である。その研究のうちの少数のいくつかは実用化されるだろう。しかしそこに重点をおくことはしたくないと思う。自然科学の研究は人類共通の文化である。世界の人々の心をとらえるものは、一国の繁栄を計るための科学技術の進歩ではなくて、無心の自然探求であろう。ある山田コンファレンスのバンケットの席上でこの種のことに言及したら、かなりの同感をえたようであったが、フランス人化学者から、social meritのない研究に援助を出す財団があるとは珍しい、というremarkを頂いた。とまれ、財団の事業は、わが国の経済発展を目標におくことなく、独創性、国際性、学際性という最初からの理念を念頭におきながら、自然科学の発展に寄与することである。
 10年の過去を振り返ってみるとき、最も心が痛むことは、財団に対して熱心に力を貸してくださった数名の役員・委員の方の逝去である。中でも設立発起人の一人であられた仁田勇先生(昭和59年1月没)の逝去は、私個人としては痛恨の極みである。また未だ若く、学界の第一人者であられた方々のお顔も、一人一人目に浮かぶ。監事になって頂いて余り時の経っていなかった高尾靖氏の親しみ深いお姿も忘れ難い。一同に代って御冥福を祈る。
 これからの財団の行く手はきびしい。この冊子に盛られた数々の助言を参考にしながら、これからの針路をきめて行かねばならない。                                                                    

*MBE=Molecular Beam pitaxy

記念誌「山田科学振興財団の10年」(昭和62年(1987年)2月1日発刊)より