No.2 選考あれこれ

昭和56年(1981年)6月25日
永宮 健夫
理事長・評議員・選考委員長/大阪大学名誉教授

 山田科学振興財団が現在まで実施してきた事業は、1.研究費の援助、2.海外への派遣および海外からの招へいの援助、3.学術交流集会の援助の3項目である。いずれも自然科学の基礎的分野に限られる。財団設立(昭和52年2月)の初期に「賞」を出す計画があったが、その意義と選考方法をめぐって理事会で議論がなされ、まだ実行に移されていない。上記3項目のうち学術集会の援助は理事会の専決事項であり、他の2項目は選考委員会で審査立案し理事会で決定するということになっている。しかし派遣と招へいについては、これが年中行事であるため、昭和54年からは選考委員会で決定、理事会へ報告という形式をとるようになった。しかも、選考委員会を毎回ひらくことは困難であるため、選考委員長一任の形をとっている。私は財団の事業第1年目の昭和52年度から現在まで選考委員長をつとめてきたので、研究費の援助と派遣・招へいの援助という財団予算の大半を占める事業に最大の責任を負ってきたことになる。以下ではこの2つの項目について、選考の理念と実際を述べてみようと思う。

1.  選考の理念
 選考の理念は「設立趣意書」にそったものである。この趣意書は毎回の「事業報告書」にかかげられているが、私が想像するところ、これは設立者山田輝郎氏の意を受けて江崎玲於奈氏が書いたものであろう。山田安定氏の筆も入っているかもしれない。ともかくこの趣意書は、わが国において自然科学の研究の基本的な発展をめざし促すという趣旨を述べている。そして、それによる基本的な工業技術の発展に対する期待が込められている。もちろん、研究は国際的水準で測らねばならない。また独創的な研究というものは、既成の分野をのりこえ、他の分野へもつながるものであり、またそれは概して専門の異る分野との接触によって生れ発展するものであるから、山田財団は国際性、学際性、および新分野を拓く独創的研究ということを強調する。目前の実用研究を対象から避け、自然科学の基礎的研究だけに対象を絞っている。
 理念としてはそれだけだが、事業をするに当って勇気づけられる言葉は「点試」という言葉である。これは山田輝郎氏が「事業報告書1」の巻頭に書いておられることだが、点試というのは、小規模であっても未知の分野に大胆に賭けることで、それが山田財団の役割であるという。「点試汎行」という言葉を山田輝郎氏はロート製薬の事業の戦略のモットーとして使ったということだが、これは小さい試みの後に広く大きく行なうという意味で、これを財団の場合に当てはめると、点試は財団の役割、汎行は政府にまかせるということになる。財団がなしうる援助は金額的にも大きいものでない。しかし点試にこそ真に独創的な研究への期待がもてるのではないか。そういう観点から、私は財団の事業の意義、ひいては財団の存在意義を感じるのである。
 ついでながら「援助」という言葉について述べる。小川専務理事の話によると、はじめ「助成」という言葉を使おうとしたら、文部省から「助成」とはおこがましい、「援助」とする方がよいと文句をつけられた。文部省は助け成らすことをしているらしい。わが財団は点試だから「援助」かもしれない。そして、そうであるからには部分的な援助も援助となる、という考えが定着した。
 もう一つ、これは理念に含まれることかも知れないが、私は自然科学の研究から社会的有用性を必ずしも期待しなくてもよいと考えている。有用性が実用性か、どちらの言葉がよいか分からないが、social utilityのつもりである。アメリカのある化学者から数年前にきいた所によると、アメリカの大学から研究費申請をするとき、social utilityを書かされるようになり、それが採択の要素になったということであった。ごく最近フランスの化学者からも同じことをきいた。私の考えでは、自然科学は人類が築いた高い精神文化であり、それをまもり、また発展させて行くことは、人類への高い貢献である。自然科学の有用性だけが重要なのではない。このようなことを1980年の山田コンファレンスの席上で話したら、上記のフランス人化学者は、山田財団は実際の役には立たない研究にも援助するのか?とおどろいた様子であった。しかし、いま考えてみると、この考えの相違は彼我の歴史の相違に基づくことのように思える。科学の技術に深い根のある欧米とちがって、わが国では思想をやしなうことの方が、有用性をめざすよりも大切だ。そういう考えが、私の中に無意識のうちに入り込んでいたようだ。よく思い出す言葉として、ラフカディオ・ハーンの著書の中に次のことがある。明治の世になって、日本は欧米から物質文明を急速に吸収した。しかし基本にある思想をとり入れるまでには100年かかるだろう、と。その本を私は1952年に英国で読んだ。今はちょうど100年の時期にきている。

2. 選考の対象とする分野
 自然科学の基礎的分野といっても、その境界ははっきりしたものではない。江崎理事がよく言われることだが、欧米、特にアメリカでは、自然科学とその応用技術のインターフェイスで多くの優れた研究がなされている。江崎氏御自身の研究もそういうものだといってよいだろう。もちろんこのような研究は、われわれがいう自然科学の基礎的分野に入る。これは基本的な重要な技術として役に立つような自然科学の研究である。単なる改良の技術ではないもの、新しい技術の分野をひらくもの、といってよいだろう。そういう研究こそ、われわれが第一に選考の対象とするものである。しかし選考の実際にあたっては、それを見分けることが必ずしも容易ではない。工学といわれる分野では、基礎から応用にかけて、あるいは実用にかけて幅広い分布があり、そのどこに境界線を引くか、なかなか難しい問題である。情報工学というものだと、数学、物理、電気工学、制御工学、生物学、人間工学、社会工学(?)などを横断したもので、どこまでを自然科学とみるか、またどれを基礎とし、どれを応用・実用とみるか、これも難しい問題である。また数学は厳密な意味では自然科学でないが、物理学や生物学、あるいは工学のある分野と密接に関係している場合、これを締め出すわけに行かない。この境界も難しい。
 生物学には基礎医学も含まれる。今日、生物学と基礎医学の境界線は無きにひとしい。臨床医学はわれわれの対象にしていないが、それでも基礎医学と臨床医学の区別が判然としているわけではないので、ここにも問題ある。
 実際の選考に当っては、自然科学の基礎的な研究であり、質の高い独創的な研究であると判定されるものを選ぶことが必要なわけであるが、上述のことから、これは判定者の主観に頼らざるをえない。山田理事や江崎理事がよくいわれる“独断と偏見をもって”という言葉は、この場合に特によく当て嵌まるようだ。しかし、財団に属する人々のおそらく“偏った”判断というものは、むしろよい意味で財団を特徴づけるものだ、といってもよいだろう。  
 以上は研究費援助の選考にも、派遣・招へい援助の選考にもあてはまる。派遣と招へいは国際的なものに限られるが、もちろん自然科学の基礎的研究の発表、講演、あるいは共同研究によって、わが国の自然科学の基本的発展に寄与するものをめざしている。わが国は言葉の上でも、言葉に表われる思想の上でも、また地理的・歴史的理由からも、まだ十分に国際性をもっていないように思われる。もともと国際的である自然科学に関して、このことは障碍になっている。財団が派遣・招へいを事業の一つにしている理由はそういう所にある。

3. 選考の実際
 さて、第1期の評議員と選考委員の人選は理事会において短時間でなされた。私などは拙速という印象をもったのだが、実際にそれらの新任の方々と一緒に仕事をしてみると、財団の理念を実によく生かして下さることが分り、むしろ驚嘆の念をもつに至った。このことについては、神谷宣郎理事も後に同じような感想を洩らされた。申請事項の審査選考を行なう方法として最初にきまったものは、審判員制度である。派遣と招へいについても、研究費援助についても、申請事項ごとに複数の審判員(レフリー)をきめ、その意見を尊重する。この制度は山田財団に固有なものではないかと思う。派遣(短期)は主として学会出席であるが、その申請はもう直ちにはじまって、審判員きめと選考はいそがしい年中行事となってしまった。審判員は選考委員の中から選ぶ立て前であるが、専門分野の不足のため、評議員にもお願いすることになった。評議員会は理事会の諮問機関(諮問、助言、承認を含む)であるから、選考にかかわる義務はないのだが、本財団はこのような慣習を作った。派遣と招へいは、審判員の文書による意見を基にして、選考委員長が少数の選考委員と専務理事とともに選考に当っている。審判員をきめることも同じ会合でやっている。
 研究費援助の申請は学会推薦によることにしている。毎年の選考委員会で選考の理念・基準を確認した上で、各申請ごとに3名の審判員をきめ、最後の選考委員会で選考を完了する。いつも物理・化学・生物の3部会に分れて作業し、境界領域の件では適宜合同する。学会推薦でよいか、一般公募はいけないか、また学会の選別の過不足はないか、という議論は、はじめから理事会および選考委員会で行なわれ、なおつづいているが、学会の追加と削除が時折なされる以外は変っていない。ただ昭和54年度から、研究費援助予算の一部を理事会が保留し、理事推薦があった場合、これを理事会が審査決定するという方法がとられるようになった。実際に推薦されて採用されたものは、55年度の1件であった。しかし、理事推薦を学会推薦と並べて選考委員会で審査選考する方が筋ではないかと思う。
 派遣・招へいに戻るが、はじめは短期のものに限られていた。これに長期(1年)のものを加えようという意見が理事会および評議員会で出され、54年度から実施された。この選考は短期派遣・招へいとあわせて年1回、同様の方法でなされているが、色々の問題を含んでいる。長期派遣では採用できる人数に比して申請が多く、また派遣費を画一的にしていないために、為替相場の変動、物価上昇、本人の国内の収入、派遣先からの援助、希望額などを勘案してきめなければならない。選考の対象は、文部省や学振からの派遣の対象になりにくい、若い有能な科学者であるから、提出された書類と審判員の評価だけでは情報が不十分な場合があり、時には専務理事が本人の事情を直接問い合わせることもしている。こういう選考方法がよいのかどうか、検討を要する問題である。  
 長期招へいについても、問題がある。申請は受け入れ人から出されるが、受け入れ人も被招へい者の意図や能力をよく知っていない場合が多く、書類にもそれが十分に表われない。滞在費についても住居の状況や生活態度が関係するので、算定が難しい。学振の招へいのように一律に多額の金を出すわけには行かない。学振の落ちこぼれを拾うために苦労しているようなもので、今までの結果はよかったと思っているが、いっそ止めてしまうのはどうだろうかと思う。

4. 選考後感
 選考を終えていつも思うことは、予算さえ十分にあれば、この人もあの人も採用できたのに、と残念に思うことである。しかし逆に、それほど沢山の優れた人が山田財団に希望をかけているということの認識は、財団に属する一人として、大変有難いことである。財団の存在意義が高くなる思いである。
 また私として楽しいものは、研究交歓会と称する研究費を受けた人々の報告会および長期派遣者の報告会である。これらの人々に対して財団は決定を伝えるための面接なり、パーティなりをしていない。これをしないでよろしい、というのが諸委員会の意見であり、赤堀理事長の意見でもあった。その代り、研究費を差し上げて1~1.5年後、研究報告をして貰おうということになった。研究費援助の交歓会は56年で3回になる。長派の場合も、これに準じて最初の帰国後の55年に交歓会がはじめられた。
 研究費援助の交歓会では、専門に関する講演以外はきかないだろう、全部の人に話をさせるのは無意味だ、という意見もあったが、理事会で江崎理事と私が意見を通して、総ざらえの第1回の交歓会をひらいてみた。結果は、意外にそういった人も熱心に終日出席した。出席者は研究費を受けた人全部と、その選考に携わった選考委員、現選考委員、新旧評議員と理事である。専門のちがう人にも分るように話して貰うという主旨で話して貰ったのだが、まずまずの成功であった。財団が学際性を重んじるということもあって、ふつうの学会の会合にない面白いものになった。質疑討論が専門外の人からも出た。もともと、財団に属する人々は研究費配分の仕事よりも学問そのものが好きなのだから、研究費配分の効果のチェックなど忘れて、交歓会を楽しんだように思う。また、そうしたことで配分が正しかったことが証明されたと思う。
 第2回の研究交歓会の時、私は選考委員長として講評し、今回の発表には研究の思想が認められるといった。これは、その前に江崎氏が関西学院大学で講演された時、主要な科学技術を発展させた欧米では思想があるが、反対に改良の技術が主である日本では思想がないといわれたことを受けて私がいったことである。江崎先生や赤堀先生も、まんざらでない様子であった。ともかく、わが国における自然科学の基本的発展のきざしをみたことは、うれしい事であった。