No.23 過ぎしことごと・明日への架け橋 もっともらしいものと、もっともらしからぬもの
江崎 玲於奈
理事・評議員/米国IBMトーマス・J・ワトソン研究所
山田科学振興財団はいよいよ満10年を迎えることになった。さて、この間、誰がみても もっともらしい 運営をして来たであろうか?
こんなことを云うのは、実を云えば、先日ある会合で日本の高名な判事さんが、「裁判の判決というものは、世間が見て、 もっともらしい ものでなければならない」と云ったのを思い出したからである。
わが国には、裁判官だけではなく誰しも、他人がどう見るかを気にせねばならない社会であるだけに、 もっともらしい ものが多い。しかし、考えてみれば もっともらしい ものには、面白さや新鮮味がない。英語流に云えば boring なものが多い。
さて、この傾向が科学の研究にまで及ぶと大へん困るのである。 もっともらしい 研究テータを選び、 もっともらしい 成果を報告する方が日本では研究助成金がもらい易いかもしれない。その方が審査員も危険負担が軽くなるからである。私なども長い研究生活の中で多くのもっともらしい研究成果も報告して来たが、やはり科学の進歩への 実質的 な貢献という意味では、トンネルダイオードや半導体 超格子 など もっともらしからぬ ものの方が大きなインパクトを与えたことは間違いない。
アメリカでは もっともらしい ものは斬新さや創造性がないだけに退けられる傾向がある。それだけに当り前のものに もっともらしからぬ ものとしての粉飾が加えられるきらいさえもある。しかし、アメリカでもあまりにも もっともらしからぬ 場合には、私の超格子の最初の論文が物理学会誌フィジカルレビューへの掲載を拒否されたようにある程度の危険負担はまぬかれない。
ところで、この10年間を考えても、日本の学会の水準は向上した。世界を舞台にする40代位の研究者が多くなって来たことは喜ばしい。わが財団もそれには聊か貢献したことは確かである。日本の学者の平均能力はアメリカのそれと比べあまり遜色がなくなったかもしれない。しかし、それでもアメリカに比べ決定的とでも云える違いはスーパースターと呼べるリーダーが不足していることである。彼等こそ新しい学問分野の開拓者なのである。
近代物理学進歩の歴史を繙いても、比較的少数のスーパースター達によって学問が築かれて来たことは明らかである。工場の生産性向上ならとも角、学問の進歩には有象無象はちっとも役に立たないのである。勿論、このアメリカにも、スーパースター振りをする偽ものは多いが、本ものはそんなにいるわけでない。しかし少数でも彼等の存在によって学会の活況は大いに違ってくることは確かである。
日本でスーパースターがどうして育たないか。それを育てることこそ将来の課題であり、わが山田財団も大いに力を注ぎたいと思う処である。私が挙げたいその理由の一つは、判事さんだけではなく、先生や生徒、文部省の役人までも、 もっともらしさ を追求することに熱を入れ過ぎるからである。せめて、わが財団だけでも、 もっともらしさ を退ける見識を持つよう努力をしたい。
さて、はじめの裁判の話に戻るが、私の限られた経験からすれば、アメリカの判事は日本のそれとは違っているように思われる。多分、彼等ならば「裁判の判決というものは、判決そのものの正当性を主張するだけの論拠を持ち、説得力を備えたものでなければならない」というであろう。この説に従えば、この10年間の財団の運営、果たしてその有効性を主張出来る論拠を持つか、自問せねばならない処である。
昭和61年8月5日 在ニューヨーク
記念誌「山田科学振興財団の10年」(昭和62年(1987年)2月1日発刊)より

