No.24 過ぎしことごと・明日への架け橋 10周年を迎えて
江橋 節郎
評議員/岡崎国立共同研究機構生理学研究所長
山田科学振興財団も早や設立10周年を迎えられるとのこと、何よりもまずその健全な発展と短期間に拘らず挙げられた成果に、心からお慶びを申しあげるとともに関係者の御努力に深い敬意を表したい。
山田財団を在野からみていた時も、またその評議員の末席に連なってからも、共通に受ける印象は、さわやかな財団だと言うことである。その出発当時の「新鮮さ」と「純粋さ」がそのまま維持されて、財団の大きな特徴となっていることは、山田コンファレンスに出席してみるとはっきりと印象づけられることである。
山田財団の存在を最初に心に刻みつけられたのは、第1回の“Cell Motility”のコンファレンス(1978)であった。実力者ではあるが我が国ではまだ若い者と見られていたオーガナイザーが、まことに真剣に会の運営に当たっていることに深い感銘を受けた。恐らく外国の参加者も同じ印象を受け、帰国後多くの人にそれを伝えたことと思われる。そのようなことの積み重ねの結果であろうか、山田コンファレンスは国内で想像するよりも遥かに国際的に有名である。
ところで今山田財団ばかりでなく、同種の財団は重大な岐路に立っているかに見える。お祝いの言葉の中でこの様なことを述べることは心苦しいことであるが、率直な意見を述べることが、財団に関係するものの義務であると信じ、敢て駄弁を弄することとする。
現在多くの財団の共通の悩みは、金利の低下に伴う財源の不足である。しかし、この現象面にだけ限るなら、基本的には技術問題であり、一時的活動の低下があっても、時がたてば解決することである。しかしその背景にはもっと深刻な問題があり、我々としてはそれを正視する必要があると思われる。
我が国の科学研究費はこれまで主として文部省の管轄下にあった。その主体を占める科学研究費補助金は現在400億円を越え、昭和42年頃に比べると30倍以上になっている。物価の上昇を考慮にいれても、我が国の財政の中で特記すべき事であり、関係者の努力は高く評価されなければならない。しかし最近、科学技術庁を中心とした動きによって、日本の科学技術の研究体制は大幅に変貌しようとしている。その背景に日本の富、殊に厖大な貿易黒字があり、計画書に散見する数字も1000億は愚か、兆のオーダーとなってきている。しかし、この援助はその本質において日本産業発展への投資であり、その為の基礎研究と見てよいであろう。
この様な情勢の中で、本財団などの占める割合は、金額だけでみれば、マイナーなものになりつつある。だからと言って、その役割もまたマイナーなものになってゆくと考えるのは余りにも皮相的である。
現在の社会情勢にある種の危機を感ずるのは、必ずしも私一人ばかりではあるまい。私が青少年時代に経験した激動の時期を今振り返ると、現代とある類似性のあることに気付かざるを得ない。しかし今はこの問題にこれ以上深入りすべきではなかろう。
山田財団ファンの一人としてお願いしたいことは、この財団設立の趣旨と運営方針を頑迷に守って戴きたいと言うことである。次の、あるいは次の次の時代の学問は、今まだ萌芽にもなっていないかもしれない。ましてやそれを今予知する術などあるはずがない。しかし、世の中がどう動こうと、それに左右されることのない純粋な研究を、飽くまでも援助しようという精神をもち続けるかぎり、この財団は、希望と不安との間で苦闘するひたむきな研究者にとって、大きな救いであり慰めである。
この様な困難な時期であるからこそ、本財団は、益々その存在の意義が深まるのだと私は信じている。
記念誌「山田科学振興財団の10年」(昭和62年(1987年)2月1日発刊)より

