No.3 研究交歓会 ―創造への契機を探ねて―

昭和56年(1981年)7月27日
赤堀 四郎
理事・前理事長/大阪大学名誉教授

 本財団の設立後間もない頃の理事会で、研究援助金の贈呈式をどの様に行うかが問題になったことがある。来賓としてどの様な人々をお招きするか、何人に祝辞を述べてもらうか等、われわれには判断しかねる問題もあり且つ経費も相当にかかると予測された。また忙しい研究者を全国からお招きして、贈呈式で5人も6人もの祝辞を聞いてもらうということは研究者にとっても迷惑ではなかろうかという意見も出た。むしろ研究費贈呈は全く事務的に済ませ、その後1年半程で研究も一段落ついたであろう頃、研究者の皆さんを大阪にお招きして研究報告と懇談会を兼ねた会合を持つ方がよいのではないかとの意見が出て、小川専務理事がそれを「研究交歓会」と呼ぶことを提案し、それが実現することになったのであるが、これには次に述べる様な意味も含まれている。
 本財団による研究援助の効果として期待していることの一つは、学際的協力によって優れた独創的研究が生れることであった。
 日本の科学技術が近年急速に進歩し、諸種の工業製品の輸出が急増して欧米の市場を圧迫していると言われるが、それら製品の最初に開発されたのは何れも欧米諸国- 中でも主として米国のものが多く、またそれを支えている基本原理も欧米の科学者によって見出されたものである。このように日本人の創案によるものが極めて少いのは何故であろうか?その理由としては次の5つの点が挙げられる。

 1)日本の科学技術の歴史が浅いこと

 2)日本の科学者は自分の専門の知識は十分あるが、専門外のことに関しては殆ど無関心の人が多い。従って新しい研究課題を考える場合にも
   自分の専門の範囲内に限られ、考え方が平面的・類推的で飛躍的なものが欠けている。

 3)日本の科学者は新しい知識を得ようとする意欲は極めて強いにもかかわらず、未知の世界に対する冒険的挑戦の意気込みが足りない。

 4)抽象的思索力が弱く、従って新しい概念を創出することが不得手である。

 5)考え方が繊細で且つ趣味的で大胆な逞しさが足りない。

 これらの日本の科学者に一般的に見られる弱点(勿論例外の人もある)は、筆者自身にも当てはまることを反省しているものである。それらの欠点は或る面では大衆向け製品を製造する場合は却って、所謂完成指向型としての長所になっているかも知れないが、画期的な創造へは繋がりにくい。
 以上の様な日本人の民族的欠点とも思われる性格も教育訓練の仕方によっては変え得るものではなかろうか。しかしそれには研究者自身でも自らの弱点を意識すると共に、互いに構想力を切磋琢磨して創造力を高めることに努力すべきだと信ずる。
 最近は自然科学系の各種学会の大会やシンポジウム、研究懇話会等もかなり頻繁に開催されているようであるが、その多くは同じ専門の研究者だけの集りの場になっている。勿論その様な専門者間の情報交換は有意義にはちがいないが、時には専門外の研究者ともつき合って互に興味を交換し合う方が同じ専門家だけの間では出ない様な突飛な質問や意見が出たりなどして新鮮な構想を生むことがあるのではなかろうか。
 山田財団の援助対象が自然科学の全領域の中で、約20の援助の課題を選ぶので、研究者の専門は天文学から生物学まで広い範囲にまたがっている。だから折角一堂に集って研究報告を行っても、お互に興味が湧かなかったら期待外れになると心配したけれども、開会して見たら、皆さん予想以上に熱心に聞いて下さり、時折り愛嬌のある質問もあったりで、今まで3回の研究交歓会は何れも楽しく有意義であった。第1回の研究交歓会の際には本財団の恩人山田輝郎会長も懇親会の直前短時間ではあったが出席され、直接この光景に触れられて満足されたことと思う。
 第1回の際の懇親会でノーベル賞受賞者の江崎理事による「日本の科学技術の将来」と題した"After Dinner Chat"があった。その内容の全文は第2回事業報告書に掲載されているが、要約すると日本は西欧の科学技術の成果を既に十分に取り入れているように見えるが、未だ西欧に発祥した飽くまで真実を尊重する近代科学的精神と未知領域に挑戦する開拓者精神に欠けているのではないかと警告されている。筆者もまた同感であった。最近の2、3年来は稍々その弱点から脱却しつつあるようにも見えるが、まだまだ米国の少壮科学者に見られる逞しい創造性には及ばないであろう。
 第2回目の研究交歓会には研究報告の数が多かったために、特別講話はなかったが、今年の第3回目には、当財団の選考委員で今年春、日本化学賞を受けられた音在清輝博士の「私の核化学」と題した電子遷移による核励起(NEET= Nuclear Excitation by Electron Transition)の講演があった。内容はかなりむつかしいことでわたしには十分理解できなかったが、その理論的基礎は原子物理学者森田正人博士によって裏付けされたもので、画期的業績として国際的にも高く認められたものである。この研究は明らかに物理学と化学の学際的協力研究によって成果を挙げたものと信ずる。この様に日本の科学も徐々に欧米追随の状態から脱却して独自の研究を展開する時代に入りつつあるのではなかろうか。
一般的に言って、日本の科学者は自らの力量に自信を持って大胆な研究計画を立て、勇敢にそれと取り組むことが必要だと思う。それで成功すれば本当に独創的な成果が生れるし、仮りに失敗しても必ず何か得る所があると思う。研究の結果が予想に反してしまったようなときこそ、新しい理論が生れるものではなかろうか。少壮研究者諸賢の健闘を祈って止まない。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より