No.5 随想 学際性と国際性の一つの解釈

昭和56年(1981年)3月25日
岡村 誠三
評議員・京都産業大学理学部教授/京都大学名誉教授

 

 本財団の援助学術研究は何れも学際性があり、また国際性も充分であることが要求されており、また充分この二つの要求が満足されてきた。所で学際性と云い国際性と云う言葉は何れも云い馴らされているだけに色々の解釈も生れている。それらが、相互に矛盾しないまでも重点の置き方などでは可なりの幅も見出せる。ここでは簡単な私見を述べて大方の御批判を仰ぎたい。
1. 学際性について  一つの専門の研究に近辺の専門の知識や研究成果を採り入れることによってその専門の拡大や深化を計るのが学際である。境界領域とか広領域研究などとも呼ばれている。始めの頃は専門の行きづまりを解消するための消極的な意欲の現われかとも見えたが、最近ではそうばかりではない。つまり分析を中心とする要素還元的(Atomic)な研究からぼつぼつ総合のための全体子的(Holonic)なアプローチへの第一歩として学際に積極的な意義を認め始めたのではあるまいか。従ってあくまで従来の個々の専門領域での研究成果を充分に踏まえた上での学際であることが、先決条件に成るべきである。この点でも根無し草的な学際は困る。
2. 国際性について  研究成果への評価がひとり国内に止まらず広く国外でも認められるようなものを国際性があると云う。よく考えてみると国際は一方通行ではない筈。従って当方の研究も充分に国の内外の研究成果を踏まえた上で行われていなければならない。
 つまり、世界的な同じ水準で研究が遂行され、また同じ水準で評価に耐えるものでなければならない。広い観点からの研究であることと夫々の地域や文化の特徴に立脚したものであることとは充分に両立し得ると思う。ひとりよがりでないと云うことと独創的であると云うこととは矛盾しないのに似ている。
3. 2つの共通性について  何れもが際(inter)の問題であるが夫々の専門や国内の議論(intra)が予め充分に堅められている必要がある。intraを飛び越してinterは無い。
 個(Atom)の確立なくして全体(Holon)が語れないのに似ている。合理主義に基づく近代科学がここまで進歩したからこそ、この辺で包括主義に基づく全体子的手法(holonic path)がまじめに考えられ始めたものと思われる。また同時に全体に目をつぶったAtomic Researchの拡大が地球の大きさの壁にぶつかりかけたと云う危機感からHolonic Pathが「科学のルネッサンス」として求められ始めたのでもあろう。つまり学際性も国際性も我々の周辺で求め得る段階にきており、また求められるべき時機にもきておるのである。
4. 相互作用の遠近について  相互作用には従来から近距離相互作用と遠距離のそれが区別され、普通は前者からアプローチする。つまり近距離相互作用は分子の変形や粒子の表面性の問題なので個々の分析で得られる物性と関係付け易い。所が遠距離相互作用、例えば生物などで働いている所謂「負のエントロピー」として定義できる遠距離作用、つまり情報などはかなり遠い所で合目的的に作用する。質量とエネルギーだけで成り立つ従来の分析による個々の物性とは結び付け難い。換言すれば物性の間の何回かの往復相互作用の集積であって新しく「機能性」とでも定義すべき、「物性プラス情報」として結び付けられる。
 学際性の遠距離作用として、例えば従来仮定された一つの直観(Imagination)を専門的に実証し終った後に、この直観を、生れ故郷に再び帰して人文・社会科学などで活用し、更に派生して出てくる新しい直観を、客観的解析の困難な科学の世界で再び役立たせると云った真にGlobalな調和ある全科学の学際にまで発展応用できないものかと夢みたりしている。
 さらに2国間だけの国際が真の国際の難しさを現わさないことと同様に、2専門分野だけの学際なら従来から生物化学とか生物物理とか名付けられているわけで、これから誠に必要とされることは、3つ以上の専門にまたがる複雑な学際であろう。こゝにも国際と学際の共通点があり、最近やかましい環境とか情報とかの問題も一種の多体問題として学際性の延長線上に存在するように思っている。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より