No.6 随想 夢のある研究

昭和56年(1981年)2月2日
上田 良二
評議員・名城大学理工学部教授/名古屋大学名誉教授

 私は夢のある研究が好きである。その良い例に、A. V. Crewe による STEM---Scanning Transmission Electron Microscope(走査型透過電子顕微鏡)---の発明がある。彼は加速器の専門家だったが、この発想をえて電子顕微鏡に転向したという話だ。彼自身がどう考えたかは知らないが、一人の素人が夢をえがいたのである。その夢物語を伝え聞いた我々、日本の玄人達は、果して本気かと疑った。当時の倫理では、誰も彼の構想を納得できなかったからである。ところが10年後には、彼の夢が実現して、孤立原子の観察に成功したのだ。
 いま、Crewe の発明したSTEMを買うと、1台が1億円もするそうだが、彼が研究を始めた頃は、たいした研究費ではなかったと思う。日本では、外国での研究が進んでから取りかかるから大金がいるが、夢のような芽を育てる段階では、僅かでも足りるのだ。僅かと言っても山田財団の援助ぐらいは必要である。夢を援助すれば失敗も多かろうが、少数でも成功すれば、その意義は大きい。
 何れにしても、夢を持った研究者がいなくては話にならない。夢には、元来、価値が無いから、利口者は夢を持たない。そこで、夢を持った馬鹿者が必要なのだが、日本の教育は利口者の教育だから、夢のある研究者は極めて少い。その養成から論ずるのが本筋だが、差し当っては、その少数を激励して、忘れた夢を思い出してもらうより仕方がない。私は「夢、募集!」という広告を出したいのだ。そうすれば、遠慮か諦めかで隠れていた夢が出てくるだろう。
 さて、夢を持つことは第一の条件だが、どんな夢でも良いわけではない。そこで応募者に口頭試問をして、夢の実現への構想を聞かせてもらう。あまりに整然として非の打ち所がないのは夢とは言えないから、勝れていても採用しない。そのようなのは、文部省に任せておけばよい。他方、漠として訳のわからないのも困る。研究者の夢は、現有の知識で解ける所は解いて、誰にも解けない所にかけた夢でなくてはならない。それは峠の難所でも、山のあなたの曠野でも、宇宙の外の未知の世界でもよい。夢を現実に変えていく所に価値があるのだから、その方法に対する抱負も聞かせてもらいたい。いずれにしても、応募者は、困難に挑戦する勇気を示し、10年を賭けて失敗しても悔いない精神の持ち主であってほしい。
 夢とは言え、勝手な注文をつけたが、自分の事を省みると慚愧に耐えない。夢は有ったつもりだが、それは導入された外国製品の背景でしかない。これに対しCrewe の場合は、先人の遺産を背景にして、鮮かな夢がえがかれている。つまり、夢の鮮明度に大きな差があるのだ。私は、研究成功の見通しよりも夢の鮮明度に注目して、援助の審査に努めてきた。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より