No.7 随想 感動を呼ぶ投資を

昭和56年(1981年)4月20日
伊達 宗行
選考委員・大阪大学理学部教授/大阪大学名誉教授

 基礎科学の推進に当って先立つものが必要なことは当然だが、お金を出す立場から見ればこれは明らかな投資であり、従ってはっきりした投資思想、優良株の選択、事業の進展、そして成果、と明快な起承転結がなければならないであろう。世にさまざまな基礎科学振興のための財団はあるが、その現状を横目で見たり、あるいは援助を受けたり、そして援助の選択に関与した経験から見て昨今感じている事を二、三述べる。
 1.国は冷静に、財団は感動的に
 文部省なり科学技術庁なりが基礎研究の推進を計る場合とは異って私的財団の援助には独自のアクセントが無ければならない。国の立場から見れば投資は総合的でバランスに注意をはらったクールなものとなろうが、財団のそれは鋭角的かつ感動的であるべきであると思われる。限りある財源を、単に科学研究費の落ちこぼれ救済的投資に使うようでは救われない。
 では感動的とはどういう事か? 例を地方大学助教授のA君に取る。彼は大大学のめぐまれた研究室で育ったが、新テーマを胸に秘めて着任した途端、うすうす聞いていたお金の無い事もさる事ながらまわりの冷いウサンくさい目つきにゾッとした。ともかく新テーマをB財団にぶつけて援助を求めた。申請書に学部長が印を押したのに援助が決定したら事務部はそんなお金を受入れた例がないからことわる、と言い出しA君を初め学部長もカンカンになると言った、よく考えて見ると大いにありそうなエピソードもあったが、つぎの日からまわりの目が一変しているのにめんくらった、とA君は言う。お前は単なる都会の流れ者ではないのか、と言うわけで大いに地位が向上したと言う。「もう大丈夫。僕はここでガンガンやりますよ」とA君は誇らしげである。財団援助の感動的例をここに見る。これに反して「あ、B財団のお金もあったっけ」と言って年度末にあわてて使い、いいかげんな報告書を書く、という例も耳にする。このような慣性的投資になっては財団も泣かざるを得ないであろう。
一つの提案がある。優良株、つまりすぐれた研究の発くつにもう一歩踏みこんだらどうだろうか。所定学会の正式機関を通った推薦以外に、通信連絡員といった人材を置いて目立った学会発表などをモニター、報告してもらうなどである。溌溂としたテーマが浮び上ってくるような気がする。
 2.感動の社会的還元を
日本の基礎科学が未だに植民地的移植感をぬぐい切れてない一面として、不必要な権威主義、閉鎖性が指摘される。そして社会一般もそう思い込んでいる。「エ、物理?、お前はまたむつかしい事をやっているんだな」と言って人は去って行く。しかし基礎科学の最先端では、スポーツ選手の勝利の笑顔、スペースシャトル-コロンビア号着地の興奮などと全く同質の、なんとも言い表しようのない感動がすべてを支えている。ズームアップされたテレビ画面の感動と同じ人間らしさが科学の基礎にあることをすべての人に知ってもらう事で我々ははじめて明治百年を脱却出来るのではなかろうか。
具体的には、かざり気のない科学の感動を社会に伝える講演会、座談会などを適当な施設を利用して財団主催のユニークなスタイルで行ってはどうだろうか?。深いタテ社会に住んでいる日本人、とくに青少年にとって科学の最前線はあまりにも遠く、深いあこがれも偶像化しやすい。生身の人の創る科学のキャンペーンが現代必須の視点の一つではなかろうか。

記念誌「山田科学振興財団の5年」(昭和57年(1982年)2月1日発刊)より